地元のお寺で《みすゞ塾》を続けて17年、コロナになってオンラインクラスもできました。
塾では『金子みすゞ全集』を5編ずつ読み進めています。
2022年9月26日(月)、めでたく2巡目読了!!!
みすゞは93年前の丁度今頃、512編の詩を3冊の手帳に清書していました。彼女が置いた順番に観てゆくことは、時を超えた詩人との対話。
ぽつりと塾生「第3巻は、やはり第1巻、第2巻とは違いますよね」。
おーおーーーそれを分るようになってくれましたか!!!
その《違い》を、『巻末手記』までの最後の4編に添って書いてみたいと思います。
◆519番目の詩『冬の雨』について◆
子ども時代の事実なのか、空想の世界なのかは判らない。が、重要なのは、こんなにも冷たい母の詩を、最後から4番目に置いたということではないだろうか。
金子みすゞは複雑な生い立ちから、母との関係性をこじらせている。そのことについてはまた別の機会に書こうと思うが、小諸図書館での講演リンクを貼るので、よろしければご覧下さい<(_ _)>
『冬の雨』と同じく見立てのごっこ遊びの詩がある。
これは『冬の雨』と同じ第3巻の最初のほうに置かれている。
母に無視されるのは一緒だが、『冬の雨』には《感情》がある。葛藤という心のリアクションがある。無理矢理にでも辻褄を合わせて敗北を認めない闘いがある。
しかし、『冬の雨』ではどうだろう?
3冊から成る全集のうち、第3巻の後半『仙崎八景』という章ぐらいから私は、胸が詰まってならない。喜怒哀楽が抜け落ち、感情が透き通ってゆく。
あるがままを受け容れていく悟りにも似てと言っては言い過ぎだろうか。死への傾斜を強く強く感ずるのだ。
一般的には、みすゞは離婚した夫が娘を渡せと言ってきたことに対して、命を懸けた抗議として娘を守るために自殺したとされている。
3月10日に娘を連れに行くと言ってきたので、その前夜にカルモチンを飲んだと。
しかし、3月10日に行くと言った当の本人・みすゞの夫はその日、(みすゞのいる)下関から遠く離れた東京にいた。みすゞの弟の日記によると、自殺の電報を受けた夫は、「どうしようと」電話してきたそうだ。一緒に下関へ帰る相談をしたと日記にある。
そのあたりのこともリンクを貼った講演で話しています。
みすゞは夫に禁止されて詩作をやめたとされているが、私は《自分の理由》で筆を折ったとみています。その根拠についても、リンクの講演で話しています。
理屈抜きに《自分の理由》を感じていただけるであろう最後の詩『巻末手記』までについて、綴っておきたいと思う。