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2024/04/18

【じぶん開放講座レポート】


 今日は、中島みゆきの『PAIN』の歌詞の朗読をした。

『PAIN』の歌詞

受講者は最初は掴みきれなかったようだが…

「さっきお喋りしたバイト先での恥ずい失敗とか、身近な体験思いつかなかったら、戦争を止められない人間でもいいのよ」というアドバイスで、掴めたようだ。

読みが、劇的に変わった。



2人の受講者と18年続いている信頼と、私の指導でwwwじぶんを開放できてるからか…

たまに、お悩みカウンセリングのようになる時がある。

家族って、本当に難しい。

赤の他人なら、これほどまでに傷つかないのに…ということが起きてしまう。

レッスン終わって一人になってから気付いたのは、私がその方にかけた言葉は、私が誰かに言って欲しかった言葉だってこと。

まるで、自分で自分を癒すように、全力で慰めていた。

解決できないことだらけなのだから、アドバイスなんて要らないの。

ただ、涙をふいて欲しいだけ。

そんな時も、あるよね。

2024/04/16

金子みすゞ周りのこと【これはアウトだろー!】

 


JULA出版の古い金子みすゞ全集(写真右側の白いほう)には、『金子みすゞノート』という別冊付録がついている。

みすゞについての権威とされている矢崎節夫氏はそこに、「みすゞの兄は萩商(業高校)へ行った」と書いた。


 ええーーーっ!!!みすゞのお兄さんって、尋常小学校を出た後は家業の本屋に精を出したんじゃないの?

『金子みすゞノート』を久し振りに読み返して、焦りまくった💦💦💦

執筆中の伝記、直さなあかん、その前にまず確認じゃ💦💦💦

ふと、矢崎氏の著書『金子みすゞの生涯』巻末の年譜を見たら…

「堅助は尋常小学校を出た後は家業に」とあるではないか!!!


これって、お詫びと訂正案件じゃないの?

こういう方が、金子みすゞ記念館の館長をしています。 

2024/04/11

【note】あの方と谷英美の闘いの記録

 

『犬のおまわりさん』で知られる佐藤義美は大正14年、『童話』という雑誌の2月号”通信欄”で呼び掛けた。

金子みすゞ他の協力で、『曼珠沙華』という雑誌を創ったので、絶賛ご予約受付中と。


しかし、実際に発刊されたのか、みすゞの詩は果たして載ったのかは、ずーーーっと謎でした。

それが、見つかったのです!!!

『曼珠沙華』の創刊号を40年間愛蔵していた東京の古書店・玊睛(きゅうせい)さんが、金子みすゞ記念館に寄贈。

昨年5月、銀座松屋の”みすゞ展”でお披露目されたのでした。

私も行ったのですが、発行年月日をメモしてくるのを忘れてしまい…

伝記の執筆依頼を受けなければ、メモしてこなくてもどーってことないのですが、書く上でどーーーしても知りたい。

で、記念館に問い合わせたら「JULA出版に聞いて」と言うのです。

「寄贈を受けたのは記念館なのに、なぜJULAに聞かなければならないのですか?」と問うたら…

「JULAが一枚噛んでるから」

ドッシェーーー一枚噛んでるってナニ?!!!

仕方がないので、JULA出版にメールするも無視。

やれやれと思いながら電話をしたら、「展覧会の目玉だから教えられない」と言うのです。

ちょっと待ってよ、寄贈を受けたのは記念館なのに、JULA出版に何の権利があるの?

展覧会の目玉って、商売の道具ってことでしょ。

記念館って、研究に資する顕彰をする機関ではないのか?!!!

なぜ記念館が、営利企業であるJULA出版に牛耳られているのか?!!!


あまりにもおかしいので調査発動。

酷い!!!記念館の設立趣旨は、金子みすゞの研究機関だったのに、なぜこんなことに?!!!

【記念館の館長である矢崎節夫氏=JULA出版=金子みすゞ著作保存会】なのです。

みすゞ没後50年以上埋もれていた遺稿手帳に辿り着いた矢崎氏の情熱に応えて全集を出したのがJULA出版で、それを多くの市民が支えました。

その時の矢崎氏は純粋だったのでしょうが、お金には人を変える魔力がある。その立場だったら、私も同じことをしてしまったかもしれない。

記念館を擁する山口県長門市の歴代の市長全員が、矢崎氏に館長を辞めてもらいたいと思い、町の人たちも困惑しているのに、21年間も辞めさせることができないのはなぜなのか?

その構図とは

通常、記念館や資料館の館長は、遺族やご親族がなさってますよね。

金子みすゞの娘であるふさえさんは、JULA出版と管理の委託契約をしていました。

ふさえさんは一昨年お亡くなりになったので、ふさえさんのお子さんが権利の継承者になります。

たぶん、ふさえさんのお子さんも、引き続きJULA出版と管理の委託契約をしていると思われます。

【記念館の館長である矢崎節夫氏=JULA出版=金子みすゞ著作保存会】である以上、矢崎氏を辞めさせ、ふさえさんのお子さん(みすゞの孫)を館長にしたとしても、実体は変わらないということになる。

記念館は、真の研究や顕彰の障壁でしかなくなり、負の遺産になってしまっているのです。

正しい歩き方に変えていくには、どうしたらいいのでしょうか?

愛は勝つ!

ふと思い立ち、松屋”みすゞ展”へ行った時のメモを見返したら、東京の古書店・玊睛(きゅうせい)さんが、40年愛蔵していたものを金子みすゞ記念館に寄贈とある。

”古書店・玊睛”で検索、ヒットしたTELにかけても、かけても出ない…

仕方がないので、3月5日、書いてある番号にFAX。

返信が来て、やりとりが始まりました。

古書店だけにその後の連絡も古風で、文です。


玊睛さんは、「金子みすゞに心を寄せる一人として、彼女のもので商売をするつもりはないから寄贈したのに、がっかりです」とおっしゃっています。

私も「今後、何かお宝を発掘しても、絶対に記念館には渡さぬよう、国会図書館か長門市立図書館へ寄贈して下さい。古書店協会のようなネットワークがあるならば、お仲間へもお伝えいただけたら幸甚です」と訴えました。

そして何と昨日、みすゞの『月日貝』という詩の載っている『曼珠沙華』のページと奥付のコピーが届きました!!!



40年も愛蔵してらした古書店なら、きっと記録をしてあるはずという読みはドンピシャでした。

神様、仏様、ご先祖様、玊睛様、ありがとうございます!と手を合わせて天を仰ぎました。

泥臭く体当たりをして、本当に良かった。

奇しくも今日は、金子みすゞの121回目のお誕生日。

まるで、みすゞとわたしへのプレゼントのようです。


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