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2024/06/29

この間の【みすゞ塾】では、北原白秋の『片戀』という詩について話しました。


 この間の【みすゞ塾】はお休みが多く、出席者2人💦

時間が余るので、余談小屋で、北原白秋の話をしました。

大正10年、18歳のみすゞは、16歳の弟・正祐に、白秋の『片戀』に曲を付けてと頼みました。


金子みすゞの伝記を書くにあたり、当時の表記を知りたくて神西清編『北原白秋詩集』を借りたら…


何と、『片戀』の前に置かれている『新生』という詩の註に、聞き捨てならないことが!!!


白秋は、明治45年に、人妻・俊子との姦通罪で訴えられています。

ってことは、この註にある【壁に画かれた春画が塗りつぶされた部屋】で俊子との逢瀬を重ねていた…

としか思えない詩なのです『新生』は!

ってことは、みすゞが作曲を頼んだ『片戀』も、俊子との逢瀬を描いているの?

となると、みすゞが弟に作曲を頼んだ意味合いというものが…うーーーーむ。

ということで、『片戀』の初出や、みすゞが、いつ、どの詩集でこの詩を知ったかの調査発動。

ってな話の後、番外編として歌詞の朗読をして遊びました。

関取花の『この海を越えて行け』と『きんぎょの夢』。

『この海を越えて行け』の歌詞と動画

『きんぎょの夢』の歌詞と動画

みすゞの詩とは全く違う世界の扉へと誘いましたとさ♪


#川越 #蓮馨寺 #みすゞ塾 #女優 #谷英美 #朗読教室 

#も少し仲間が欲しい #誰か入って😆






2024/06/16

🙏恐山でのこと🙏



去年の7月、地獄へ落ちる練習をしに恐山へ行って、宿坊に泊まった。

夜中目が覚めて、部屋に置いてあった南直哉著『刺さる言葉』をめくってみた。

       

          



しゃくりあげて一人、泣いた。

この言葉に出会うために、私は呼ばれたのかもしれないと思った。



先日、書評欄で見かけた、こういうお顔の方だったんだ。


      


それに”なおや”だとばかり思っていたら ”じきさい”と読むのでした。

なんて優しそうなお顔なんだろう。

南先生、ありがとうございました 苦しみが消えたわけではないけれど、気持ちはすごく救われました。

お山へ行って良かった🙏





2024/06/09

金子みすゞの詩、『ながい夢』と『手品師の掌』の並びについて

詩集に、どういう順番で詩を置くか…ソコにも意味と思いがあるよねというようなことをnoteに書きました。

谷英美のnote



もしご興味あれば🙇

フォローとか「スキ」とかしていただけると、大変励みになります。どうぞよろしくお願い致します💛


#金子みすゞ #詩 #ながい夢 #手品師の掌 #詩集 #詩の順番からこぼれてくるもの 

2024/06/08

☆宅建女優☆

 


ヤバい!5年に1度の法定講習、OL受講を申し込んだのに忘れてて不動産協会が電話をくれました💦

OLあるあるですよね!

配信申し込んだのにうっかりして、アーカイブに救われるみたいな💦

とりあえず、ギリギリセーフで良かった!!!

これまではなかったのに、効果測定のテストがあって…

ペーパーのなんちゃって宅建士なんで不合格だったら、問題写メして知り合いに教えてもらわなくちゃだったんだけど…

30問中、27問正解で、合格できました(ホッ) 😅


            判りにくいけど  ↑ 「終了」の画面

金子みすゞの伝記、進捗状況

 


フ~~~金子みすゞの伝記、やっと下関に移り住むところまできました。

編集さんに、「序は、全部書けてから書き直すことになると思う」と言われてるので、序を除いて…

400字詰め原稿用紙換算で、213枚。登山なら5合目といったところか。

読み返すのも大変なボリュームになってきました💦

シャッチーとアザラッシーが見守ってくれてます💛


おお~~~そういえば、去年の今日、ご依頼をいただいたのでした!!!

寝耳に氷水のようなお話で…

興奮しちゃって、黄泉の国から蘇ってきたみすゞが「ねぇ、ちょっと聞いてよ」みたいな、紙上一人芝居的なのはどうかなとか、トチ狂って書き散らかしたり(爆)。

9月に編集さんと7時間に及ぶ打合せをして、王道を行こうと決めたのでした。

その後は、公演で書く時間を作れず、本腰入れたのは年が明けてから。

あたしゃ物書きじゃなくて、ただの役者なので、もう本当に未知の世界。

でも何とかここまで来られたってことは、この後も何とかなるのではと、根拠なく信じてる。

年内に初稿あげたいな。


2024/06/01

【みすゞ塾】の余談小屋、第2弾😆


金子みすゞの伝記執筆の取材で、生れ故郷・仙崎の北にある青海島のくじら資料館に電話しました。

確認したかった用件がすんだ後で館長さんが、当地の見解として『かたばみ』という詩について話して下さいました。



みすゞの故郷・仙崎は1周4キロほどの小さな町に、6ヶ寺もあるのですが、どこも平地で【駈けてあがる石段】はありません。

なので館長さんは、この詩の舞台は青海島の東のはずれにある向岸寺だとおっしゃっていました。



たしかに向岸寺には、石段があるし、みすゞの父の菩提寺でもあります。

でも、一つ前のポストに書いた通り、父の没後、父の実家との交流はほぼなかったと考えています。

まして、向岸寺は浄土宗、みすゞのお家は浄土真宗でした。

そんなに違うの?と思われるでしょうが、自力の浄土宗と、他力の真宗とでは真逆とまでは言いませんが大きく違うのです。お線香の置き方まで違うんです。

谷と、仙崎の生き字引の坂本さん、下関在住の金子みすゞ研究家・木原豊美さん、この3人の見解は、二十歳で移り住んだ下関にある光明寺が舞台と考えています。



光明寺は、『天人』という詩に謳った笛を吹いてる天人のいるお寺です。


          天人の下で『天人』の詩を朗読して感無量の谷。


磨きに出す前の天人。上の金ピカのは磨き掃除の後のものです。みすゞが見ていたのは、こっちの煤けたほうだと思います。

ちなみに、光明寺さんは浄土真宗です。