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2022/10/03

◆みすゞ色の徒然◆

 

小諸市民大学へ講師として呼んで下さった方は、《みすゞ塾》のオンラインクラスにも入って下さったのですが、すんごい詰め合わせが届きました!!!

水色で囲ったのは、みすゞの死を報じる防長新聞。

その右の長州新聞は、かねてより矢崎(金子みすゞについての権威とされている人)批判を展開。この記事にも、最初にみすゞの詩を世に出したのは矢崎さんではなく、長州新聞主幹の福田正義氏が『話の関門』に書いたとあります。
長州新聞のウェブ

下の本は、金子みすゞが華々しいデビューを飾った4つの雑誌のうちの『婦人倶楽部』で一緒にデビューし、金子と同じ昭和5年に亡くなった柴山みすゞ(晴美)の遺稿集。

小諸図書館の方が「小諸にいた、もう一人のみすゞ」として発掘、研究、発表している詩人です。

序文は西條八十、化粧函入りの豪華な本をめくっているうちに、なんだか悲しいんだか悔しいんだかムカついてるんだか判らない感情が…

当時の文学界は、今よりずっと男社会で…

柴山が存命中に詩集を3冊も出して、こんなに立派な遺稿集まで亡くなった翌年に出してもらってるのは、男だからでしょう!!!

悪いけど、詩の才能は、金子のほうがずっと上だと私は思う。

それなのに金子の遺稿は矢崎さんが握ってて、新旧の全集で表記が違うなんていうとんでもないことになってるのに、みすゞの遺した言葉に忠実な全集を出したくても出せないなんて…😭😱😡








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