『アローン・シアター』事務局・佐藤さんの作品を観に行ってきました💛
漢気と優しさと…お人柄そのままに💛
これで帯を創って、勝負服にするワ😉
それにしても、銀座和光の《主催》で個展なんて、スゴーーーイ!!!
先生による作品解説のyoutubeも良かったらどうぞm(__)m
銀座で、お財布の心配をしないで呑めるお店があるって幸せーーー💛
銀座っていうか、有楽町だけど…交通会館B1です。
応援よろしくお願いいたしますm(__)m
『アローン・シアター』事務局・佐藤さんの作品を観に行ってきました💛
先月の渡沖で、遺骨発掘現場を案内して下さったにいにい(苗字が同じなので)が、埼玉に来ています💛
にいにいは、ガマフヤー(ガマを掘る人)を名乗り、40年ボランティアで遺骨収集を続けている具志堅隆松さんを支援しています。今回、みすゞ塾以外ではしたことのない話をさせていただきました。
マニアックなので、どこまで分っていただけるか心配でしたが…
市民大学の皆さんの喰いつき、凄かったです!!!
現在出回っている金子みすゞの詩集には、当時の雑誌に掲載された表記のものと…
みすゞが命を絶つ半年前に手帳に清書した遺稿の表記の2種類が、ぐっちゃぐちゃに混在しています。
著作権は切れているのに、《金子みすゞ著作保存会》というまぎらわしい名称の団体を立ち上げ、権威である矢崎節夫さんが牛耳ってきた結果がコレです(著作の何をどう守ってきたのでしょう👹)。
私は《決定版》として、みすゞが書いたままの《本当のこと》を知りたい!!!
それが、みすゞの一番最後の思いなのだから。
遺稿を写真製版した《全集》が欲しいのです。
でも、あまりに身の程知らずなので、口から出すのが怖くて…
でも、誰かがやらなければ、ずっとこのままなわけで…
やむにやまれぬ気持ちで、お話させていただきました。
難しい説明だったにも関わらず、終演後のお見送りでは「その部分をもう1回聞きたい」とか…
「一筋に研究してきたあなたは求道者だ」とか(←褒め過ぎ😅)
「息子が出版社をやっているので相談してみては」とアドレスを教えて下さった方までありました。
勇気を出してお話して良かった、もう思い残すことはありません。
お世話になった皆様、本当にありがとうございましたm(__)m
P.S.金子みすゞと同じ時代を生きた柴山みすゞという詩人が小諸にいたのです!!!
その発掘を発表なさった《小諸図書館職員・本途人舎》大池和美さんとのコラボは、本当に胸躍る仕事でした💛
金子と柴山、二人のみすゞに、火の山の麓で思いを馳せる…何という贅沢…大池さん、タッグを組めて幸せでした、ありがとうございます!!!
そういえば2011年、初めての信州公演の会場下見の時、虹の根本から根本まで見える完璧な虹を見た💛
【スゴッ!】
小諸公演を1週間後に控え…今日は、小諸公演の稽古でした💪
私、29(金)に参ります。
毎日展では、アローン事務局・佐藤さんの作品も観られるので、両方回ります。
もちろん、毎日展でも玄聳先生の作品も観られます♪
昨日は、午前中の《じぶん開放講座》の後、沖縄家庭料理《ゆんたく亭》さんでランチ💛
今日こそは写メするぞ!とサラダは撮ったのですが…カレーは食べちゃってから気が付きました😅
慰霊の日には沖縄でママとご一緒できて、とてもとても嬉しかったです。
そういえば…《不屈館》の館長さんと世間話で盛り上がっていた理由を聞いてびっくり!!!嫌いになった人がいる
殴りたかった人がいる
殺しちまったことがある
誰かじゃなくて自分である
関取花の『この海を越えて行け』より抜粋
…今日、午前中の《じぶん開放講座》では、上記の歌詞全文を朗読。
この言葉たちは、演じることを拒んでいる。
究極の表現って、無表情だったり、感情が抜け落ちてたりするのだと思う。
目指すべきは《空っぽのコップ》だよと、常々言っている。
「そのコップに、お客様が好きな色の感情を入れるの」と。
そういう意味では、今日の受講者たちは私に、とても美しい《コップ》を差し出してくれた。
演じることが好きな人たちなので、こんなにストイックな表現が成功したのは、長年やってきて初めてです。感動!!!
さ、夜の《オンラインみすゞ塾》も頑張ろーーーっと💛#関取花
5月に、弥七くんのおとーしゃんこと、応援団福島支部長の今野さんをお訪ねしました。
賢いニャンコの弥七くんショーのお招きを受けまして💛荷物を減らせない女ですが…使わなかったのは、カッパと靴下2足だけでした😊
渡沖の翌朝、何と、私の住む川越の隣町にある《ゆんたく亭》という沖縄料理屋のママから電話が…
摩文仁の丘で落ち合うことになっていたのですが、ママは平和記念公園へのシャトルバスがコロナでなくなっていたのを知らなかったそうです。
私たちも路線バスで行くつもりが、駐車場に停められそうだという情報をもらい、レンタカーに変更。
ママをホテルへお迎えにあがり、まずは米軍が最も恐れた男・瀬長亀次郎の《不屈館》へ。
横浜YWCAの真理さんと落ち合いました。
私が手にしているのは、不屈館で売っていた5月15日付けの琉球新報。
50年前の本土復帰の日に《変わらぬ基地 続く苦悩》という見出しを付けたのは、亡き近田洋一さんです。
その見出しを復帰50年の5・15に、そのまま使えるなんて😡
でも、この新聞を入手できたのは嬉しい💛
不屈館を辞し、摩文仁へ向かう途中お昼をすませようと、ひめゆり資料館前の食事処へ。
ひめゆりの塔にお参りだけしましょうと歩き出したら何と、糸数慶子さんご夫妻と遭遇!!!
この日、「魂魄の塔の前で」という約束が流れてしまい残念に思っていたのですが、何と会えちゃいました!!!
いざ、摩文仁の丘へ、遺骨収集ボランティアを40年続けているガマフヤーの具志堅隆松さんを訪ねました。
具志堅さんは、遺骨の混じる土砂を辺野古の新基地建設の埋め立てに使うな!とハンストをされています。
そのテントをお訪ねしました。
お身体しんどいでしょうに訪問者にわらわらと囲まれていて、ご挨拶するのは遠慮するべきか…と逡巡していたら…
にいにいが「ちょっと挨拶する?」と声をかけて下さいました。
にいにいこと谷大二司教とは苗字が同じですが実は兄妹ではなく、これまでの沖縄公演をお世話下さっている大切な方で、具志堅さんのハンストをサポートされているのです。
暑さの中、立って笑顔で皆さんに対応なさる具志堅さんに心で最敬礼しながら、ビデオも回させていただきましたm(__)m
夜は夜とて、平和学の石原昌家さんの奥様・恭枝さんが、夕食をとっている居酒屋へ訪ねてきて下さいました!!!
恭枝さんは、私の応援団だった亡き平井さんの同級生なのです。
平井さんはクラス会では、私の話ばかりだったそうで…
2016年の沖縄公演観劇ツアーで、恭枝さんに引き合わせて下さいました。
きっと平井さんは、恭枝さんが、そんな凄い方の奥様だとは知らなかったと思います。
私が知ったのも、つい何年か前です。
だって恭枝さん、「うちの夫は~~~」なんてこと一言もおっしゃらないから。
26日の佐喜眞美術館へご一緒していただけたら良かったのですが、その日はちょうど読谷村で《ざわわのコンサート》があって…
どうしても都合がつかないからと無理くり時間をひねり出して、会いに来て下さいました。
沖縄2日目、慰霊の日は盛沢山で、感謝もてんこ盛りです💝