荷物を減らせない女ですが…使わなかったのは、カッパと靴下2足だけでした😊
渡沖の翌朝、何と、私の住む川越の隣町にある《ゆんたく亭》という沖縄料理屋のママから電話が…
摩文仁の丘で落ち合うことになっていたのですが、ママは平和記念公園へのシャトルバスがコロナでなくなっていたのを知らなかったそうです。
私たちも路線バスで行くつもりが、駐車場に停められそうだという情報をもらい、レンタカーに変更。
ママをホテルへお迎えにあがり、まずは米軍が最も恐れた男・瀬長亀次郎の《不屈館》へ。
横浜YWCAの真理さんと落ち合いました。
私が手にしているのは、不屈館で売っていた5月15日付けの琉球新報。
50年前の本土復帰の日に《変わらぬ基地 続く苦悩》という見出しを付けたのは、亡き近田洋一さんです。
その見出しを復帰50年の5・15に、そのまま使えるなんて😡
でも、この新聞を入手できたのは嬉しい💛
不屈館を辞し、摩文仁へ向かう途中お昼をすませようと、ひめゆり資料館前の食事処へ。
ひめゆりの塔にお参りだけしましょうと歩き出したら何と、糸数慶子さんご夫妻と遭遇!!!
この日、「魂魄の塔の前で」という約束が流れてしまい残念に思っていたのですが、何と会えちゃいました!!!
いざ、摩文仁の丘へ、遺骨収集ボランティアを40年続けているガマフヤーの具志堅隆松さんを訪ねました。
具志堅さんは、遺骨の混じる土砂を辺野古の新基地建設の埋め立てに使うな!とハンストをされています。
そのテントをお訪ねしました。
お身体しんどいでしょうに訪問者にわらわらと囲まれていて、ご挨拶するのは遠慮するべきか…と逡巡していたら…
にいにいが「ちょっと挨拶する?」と声をかけて下さいました。
にいにいこと谷大二司教とは苗字が同じですが実は兄妹ではなく、これまでの沖縄公演をお世話下さっている大切な方で、具志堅さんのハンストをサポートされているのです。
暑さの中、立って笑顔で皆さんに対応なさる具志堅さんに心で最敬礼しながら、ビデオも回させていただきましたm(__)m
夜は夜とて、平和学の石原昌家さんの奥様・恭枝さんが、夕食をとっている居酒屋へ訪ねてきて下さいました!!!
恭枝さんは、私の応援団だった亡き平井さんの同級生なのです。
平井さんはクラス会では、私の話ばかりだったそうで…
2016年の沖縄公演観劇ツアーで、恭枝さんに引き合わせて下さいました。
きっと平井さんは、恭枝さんが、そんな凄い方の奥様だとは知らなかったと思います。
私が知ったのも、つい何年か前です。
だって恭枝さん、「うちの夫は~~~」なんてこと一言もおっしゃらないから。
26日の佐喜眞美術館へご一緒していただけたら良かったのですが、その日はちょうど読谷村で《ざわわのコンサート》があって…
どうしても都合がつかないからと無理くり時間をひねり出して、会いに来て下さいました。
沖縄2日目、慰霊の日は盛沢山で、感謝もてんこ盛りです💝
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